「自分の存在」が作品になる

福岡小百合(本コース ダンス担当教員)

※この文章は2020年2月に発行されたブックレット「OTEMON HYOCOMI」に掲載された文章です。


身体は自分の存在そのものであり、人との関わりは、その人の人生を内包する「身体と身体の対話」です。コミュニケーションは、一般的に「言語」で成立するものと捉えられがちですが、人生では共通の言語をもたない人との関わりや、赤ちゃんのように言語を獲得していない人との関わりも避けては通れません。また、相手の「様子」や「雰囲気」など、言語になっていない情報に、その人の本音が隠れていることもあります。この情報を相手の「身体」から自分の「身体」でいかに感じ取り、言葉にならない「相手の声」を想像できるかどうかが、より良い人間関係を築くための鍵となります。 

 

私たちの授業では、人と人との媒になる「人間=身体」を育成することを目標とし、演劇とダンスの視点からプログラムを組んでいます。特にダンスは「身体」が主体となる芸術です。舞台上の身体は、自分の存在の証であるとともに、振付家と観客(社会)を繋ぐ媒体(作品)でもあります。

 

振付家と観客の間に入るダンサーは、人と人との媒となる存在であるため、作品を理解し、自分を失うことなく、観客(社会)と接続する身体をもたなければなりません。

 

そのために、ダンサーは作品の「問い」を主体的に捉え、自らの経験や記憶を含んだ身体で思考し続けます。また、自分を俯瞰する客観的な視点をもち、他者の指摘を素直に受け入れ、主観に偏らない身体を目指します。さらに、体の構造を細かく理解し、鍛錬を重ね、言葉にならない繊細な感覚を積み上げることで、目には見えない空気感を敏感に感じ、空間の変化に応じながら、作品の世界を立ち上げることができるのです。このように、人と人との媒となるダンサーに必要とされることは、「身体と身体の対話」である日常のコミュニケーションでも必要となります。

 

 

ダンスは、身体の可能性への挑戦。それは、自分への挑戦でもあります。

 

生徒が、新しい動きを発見することは、新たな自分との出会いであり、新たな技術を習得し、表現の幅を広げることは、自己を開拓し、拡げることに繋がります。観客の前で発表することは、「自分の存在」を他者に受け止めてもらうことであり、その経験が自己を肯定し、自分に自信を与えてくれるのです。

 

「身体」に向き合うことは、「自分」と向き合うということ。

「身体の可能性」を追究することは、「自分の可能性」を追究するということ。

「自分の存在」が作品になるからこそ、生徒は、作品のために、努力し続けられるのだと思います。

 

そして、自分の力で得た実感は彼ら身体に刻まれ、人生を支える礎になるのです。


福岡小百合(ふくおか・さゆり)

愛媛大学、フランス国立ダンス振付センターCNDCにてダンスを学び、筑波大学人間総合科学研究科博士前期課程体育学専攻(舞踊教育学)修了。アーティステックムーブメントイントヤマ特別賞受賞(2008年)、全日本高校・大学ダンスフェスティバル神戸特別賞受賞(2009-2010年)、上海万博関連企画「共同の万博」出演(2010年)、2013年よりダンスユニット星屑ロケッターズ所属。2014年から表現コミュニケーションコース立ち上げに携わり、舞踊の観点から表現教育を実践している。